• 2015.10.29

GONIN サーガ 東出昌大さん&石井隆監督
トークイベントレポート

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10/24(土)『GONINサーガ』主演を務めた東出昌大さんを迎えて、第二弾のトークイベントを実施致しました。
本編を客席で鑑賞してから登壇した石井監督は、「いい音でした。音響がいい。自分が思ったとおりに音が再現されるというのは本当にうれしい。こんなの初めてですね」と終始ごきげんなご様子。
久々にGONINでの挨拶に立った東出さんは、「小説やコミックの原作を映画化する作品が多い中で、オリジナル脚本の強さというのをこの作品で改めて感じた気がしています。そんな作品に携われたことは本当に嬉しいですし、一人でもたくさんの人に観ていただきたい作品です。」と本作への熱い想いを語り、観終わったばかりの観客からは大きな拍手が沸き起こりました。
客席からの質疑応答では、前回同様に鋭い意見やコアな質問が監督に飛び、思わず東出さんまでもが「いい質問ですね!僕も気になっていたんです!」と興奮するほど。
遅い時間からの実施でしたが、終始熱気に溢れたトークイベントとなりました。

登壇者:東出昌大、石井隆(監督)、二宮直彦(プロデューサー/KADOKAWA)
司会:大崎紀昌(宣伝プロデューサー/ポニーキャニオン)

■バンクーバー映画祭以来のGONINでの登壇ですが、映画祭はいかがでしたか?

東出さん:国際的に評価される作品に出れたことの喜びがやはり一番大きかったですね。海外のお客さんも純粋に映画を観てくれていて、本当にいろんな楽しみ方をしてくれていたなと、映画というのは観る人によっていろいろな感じ方を許してくれる懐の深いエンタテイメントだなと改めて思いました。

監督:実は今でもバンクーバーで取材してくれた記者の人たちと連絡をとっているんです。取材では「"サーガ"ということは、(今年新シリーズが公開になる)『スター・ウォーズ』を意識したのか」とか聞かれて本当に困りましたが(笑)、いい経験になりました。

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観客のみなさんからの質疑応答

■母親の呼び方について、「母さん」「お母ちゃん」「お袋」などいろいろと変わっていたのが印象的だったのですが、演じられてみてどうでしたか?

東出さん:他の現場だと、例えば台本の中で場所によって呼び方が違うと、逆にひとつの呼び方に統一するような指示が入るので、それもあったので撮影前に監督に確認したんです。そうしたら、監督は本のとおりにやって、とおっしゃった。感情によって母親の呼び方が変わっていくのは、本(台本)をちゃんと読んだらわかるから、と。
そこではっと、これにはきちんと全部監督の考えがあるんだなと腑に落ちましたね。

監督:言葉というのは、気持ちの流れがないと出てこないと思っているんです。だからこういうシーンだとこういう言葉が自然に出てくるんじゃないかな、と思って書いています。


■あの伝説の『GONIN』の続編に出るというのは、役者にとって本当に誇りだったとキャストの皆さんがおっしゃっていましたが、具体的に観た方々から連絡はあるのでしょうか?

東出さん:同年代の役者仲間からは「観たよ!」という連絡はたくさんもらいましたね。
みんな映画が好きで、このGONIN を通ってきている役者さんが多いので、みんなすごい熱を持って観に行ってくれていて本当にうれしかったです。

二宮P:役者だけじゃなくて、若い監督陣からも熱い声はたくさん聞きますね。

■復讐に走る役ということで暗くて重いシーンも多かったと思いますが、思い出に残っているシーンはありますか?

東出さん:前半はどうしても自分に嘘をついて、母親にも嘘をついて、という役だったので、演じていてももやもやしていたのですが、お母さんを亡くしてからのシーンでやっと背骨が通ったというか、自分の考える方向に自分の足で動き出したので、演じる僕もふっと軽くなった部分はありましたね。それもあって、ラストの襲撃シーンは体力的にも気持ち的にも強烈に思い出に残っています。

■登場人物それぞれが置かれた環境が違うので、いろんな人の目線で見られる作品だと感じたのですが、想い入れのある役はありますか?

監督:今日は東出くんの役(勇人役)だって言うしかないよね(笑)

■クランクアップしたときの気持ちは?(質問したのは最終日の撮影にエキストラで参加していた女性でした)

東出さん:ご参加してくださったということでおわかりかと思いますが、何日もぶっ続けで撮影していて本当にもう激流に飲み込まれたというか、すごい精神状態で撮影していたので、終わったときはただただ放心したというか、ものすごく過酷なお祭りが終わった、みたいな気持でしたね。僕だけじゃなくて、役者もスタッフもみんなそんな顔をしていました。

■土屋さんが演じた麻美が、「ま、いっか」と言うシーンが2回ありましたが、そこにはどんな意味があるのでしょうか?

監督:あれは彼女なりの諦観ですね。彼女はその境遇から、いろいろなことを諦めざるを得ない状況で過ごしてきた人で、諦めることで自分を保ってきた女性だということがあの台詞にこもっている、そんな感じです。でも実は、最初のほうは変わらない毎日に対する諦めの「ま、いっか」で、2回目(ラストシーン)のほうは、自分で選んだ道が自分も死ぬ運命になるんですが、それに対する「ま、いっか」なので、ちょっと意味合いは違うんですよね。